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豊後:飯塚城址(いいづかじょうあと)

住 所 :大分県国東市国東町安国寺623-2
築城者 :田原貞広
築城年代:正平年間
形 式 :平山城
遺 構 :石碑
指定史跡:未指定
訪問日 :平成29年8月22日

歴史

飯塚城は正平年間に田原貞広(たばるさだひろ)によって築城されたと云われている。
元来、田原氏は沓掛城(くつかけじょう)を拠点としていたが飯塚城を築城して以来約二百三十年田原氏の居城となる。
田原氏は豊後の雄で大友氏の三家として勢力を誇っていたが、天正八年に田原親宏(たはらちかひろ)の 跡を巡って家督を争う騒動が勃発する。
大友氏が後ろ盾となった次男:親家(ちかいえ)と毛利氏の力を借りた親宏の養子である親貫(ちかつら)が家督を争い親家が勝利し田原氏を継承した。

現在

現在の飯塚城址は「国東小学校」が跡地となっているが遺構らしき物は何も残っていない。
学校入口とグラウンド手前に石碑と案内板が残っている程度である。
一部石垣が残っているという情報もあるが国東小学校建設時に遺構は皆無となった様だ。

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