肥後:麦島城址(むぎしまじょうあと)
住 所 :熊本県八代市古城町2112
築城者 :小西行長
築城年代:天正十六年
形 式 :平城
遺 構 :天守台・小天守・石垣・堀
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :令和02年09月04日
築城者 :小西行長
築城年代:天正十六年
形 式 :平城
遺 構 :天守台・小天守・石垣・堀
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :令和02年09月04日
歴史
麦島城は九州征伐で武功を挙げた小西行長(こにしゆきなが)が肥後南半国に封じられ天正十六年に家臣の小西行重(こにしゆきしげ)(元の名は木戸末郷)に命じて築城させた城で当時は八代城と呼ばれていた。
元来、八代は古麗城が拠点となっていたが山城で交通が不便だった為に新城を築城したが麦島城地域は中世以来の貿易港でもあった。
その為に南蛮貿易の拠点としても重要視された城でもあった。
だが行長は慶長五年の「関ヶ原の戦い」で西軍方に味方して斬首刑となり北肥後城主の加藤清正(かとうきよまさ)が肥後一国を領する様になると、麦島城は加藤政権の支城となり慶長十七年に家臣:加藤正方(かとうまさかた)が入城し城の改修を行った。
その後、元和元年の一国一城令でも特例として麦島城は熊本城と共に熊本藩二城として特別に認められるが元和五年にこの地域を大地震が襲い麦島城は倒壊してしまう。
元和八年に現在の八代城を築城すると歴史から完全に消えてしまった。
現在
現在の麦島城址は麦島地区に多少の遺構を残している。
当時の地震倒壊の影響で地下にはまだ多くの遺構が残っているといわれ平成の発掘調査では多くの遺構が出土している。
だが大半は住宅地になっており現在は天守台跡地に牌と説明板が建っている。
これは発掘調査が話題になり多くの見学者が訪れるようになった為に施した物だといわれているが住宅地にあるので散策時は騒がずに見学をして貰いたい。