肥後:菊池城址(きくちじょうあと)
住 所 :熊本県菊池市隈府1257
築城者 :菊池武政
築城年代:正平年間
形 式 :山城
遺 構 :井戸・土塁
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成22年07月26日
築城者 :菊池武政
築城年代:正平年間
形 式 :山城
遺 構 :井戸・土塁
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成22年07月26日
歴史
南北朝時代に南朝側に味方し活躍した菊池武政(きくちたけまさ)が正平年間に築城したのが菊池城の始まりだと云われている。
肥後国守護に任命された菊池氏はその勢力を拡大し菊池十八外城(きくちじゅうはちとじょう)と呼ばれるほど多くの城を持っていた。
だが内紛が絶えない一族でもあった為に徐々に衰退していくと、同じ肥後国の阿蘇氏や豊後の大友氏の攻勢を受け没落してしまった。
大友氏の持ち城となった菊池城だが旧菊池氏家臣:赤星親家(あかほしちかいえ)が城主となるも、同じく旧菊池氏家臣:隈部親永(くまべちかなが)との間で争いが起こり親永は天正六年に肥前の龍造時隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の力を借りて赤星氏を菊池城から追いやってしまう。
親永の居城となった菊池城だが今度は九州制覇を狙う薩摩:島津氏と対峙する事になるも、籠城戦の末に落城を免れて島津氏と和睦を結ぶ事に成功する。
だが天正十五年の豊臣秀吉による九州征伐後に肥後は佐々成政(さっさなりまさ)が入国するが、親永は成政に反旗を翻し菊池城にて抵抗を行い奮戦するも秀吉軍の援軍を前に降伏すると菊池城は破却された。
現在
現在の菊池城址は本丸跡地に菊池神社が建ち遺構らしき物はほとんど残っていない。
神社に行く階段を登る途中に古井戸があり後は空堀や土塁が多少は確認できた。
この城址を訪れた際には神社まで登り菊池市を一望して観るのも良いだろう。