肥前:諫早城址(いさはやじょうあと)
住 所 :長崎県諫早市高城町1
築城者 :西郷尚善
築城年代:文明年間
形 式 :平山城
遺 構 :石垣
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年09月27日
築城者 :西郷尚善
築城年代:文明年間
形 式 :平山城
遺 構 :石垣
指定史跡:未指定
訪問日 :平成19年09月27日
歴史
諫早城は文明年間に西郷尚善(さいごうなおよし)によって築城された城だ。
尚善は有馬氏の被官となり領土を拡大していくが西郷純堯(さいごうすみたか)の時代に豊臣秀吉が九州征伐の兵を起こすと純堯は参陣せずに領土を没収された。
その後に龍造寺家晴(りゅうぞうじいえはる)が入封し後に性を諫早とかえ諫早城を居城としたが、 五代目:茂門の時に城の老朽化に伴い廃城され陣屋を構えて明治時代を迎えた。
別名「高城」とも呼ばれていた。
現在
現在の諫早城址は「諫早公園」となっており公園内にある「眼鏡橋」を見に来る方が大半のようだ。
城址は公園内にある城山を登ると神社がありその周辺に多少の遺構が残っている程度である。
もしこの地で城見学を行いたいのなら公園横にある「諫早高校」に行かれた方が良いだろう。
この高校は元諫早陣屋が在った場所で現在も石垣や小さな堀が残っている。
学校に事前連絡を入れておくと校内にある庭園を見学できる様だが、今回は断念したので次回訪れた際には是非見学をしようと思う。