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筑前:花尾城址(はなおじょうあと)

住 所 :福岡県北九州市八幡東区前田
築城者 :宇都宮重業
築城年代:建久七年
形 式 :山城
遺 構 :石垣・曲輪・畝状竪堀
指定史跡:未指定
訪問日 :令和02年09月20日

歴史

花尾城は建久七年に宇都宮重業が築城した城と云われているが築城年代に関しては分かっていない。
重業は関東の名門である宇都宮氏の一族と推測されこの地で麻生荘の地頭代職となると麻生性を名乗るようになる。
麻生氏は永享年間に大内氏の配下となり文明年間に麻生氏の家督相続が勃発すると大内氏が介入し花尾城に立て籠もった麻生家信を攻めるが、三年に及ぶ籠城戦を行った家信の前に落城させる事が出来ず和議を結ぶ事となった。
だが大内氏は麻生氏を追放すると花尾城も大内氏の配下となるが天文二十年に陶晴賢が大内氏に反旗を翻し「大寧時の変」を起こすと大内氏は滅んでしまいその隙をついて麻生氏は花尾城に帰還する。
天正十四年の豊臣秀吉による九州征伐の際に花尾城城主:麻生家氏は秀吉に降伏し筑後へ国替えとなるとこの地は小早川隆景の領土となる。
一時は番城として機能したと思われる花尾城だがいつしか廃城となった。

現在

現在の花尾城址は花尾山山頂や中腹に多くの遺構を残している。
城址へは東、西、中央の三か所の登山道があるが遺構を楽しむなら中央登山道をお勧めする。
この道は西櫓台や四の丸、三の丸、二の丸へと進み本丸に行く事が出来る。
本丸跡地は二段に分かれており周囲には石塁や曲輪が確認出来た。
だがこの城址の一番のお勧め場所は本丸址地から進んだ所にある井戸跡と井戸曲輪と呼ばれる場所でこの場所には石段や石垣が良好な形で大規模な遺構を残している。
また井戸曲輪から進むと大堀切の遺構があり深さや広さが十分に確認出来るほど素晴らしい形で残っている。
他にも多くの場所に畝状竪堀を確認する事が出来るのだが森林や雑草が邪魔をしておりよく見る事が出来なかった。
更に奥へ進むと東出丸が残されており西登山道と東登山道の分岐地点にもなっておりこの場所が最奥の城址となっている。
西登山道側に進むと何故か中腹の寂しげな場所に巨大な花尾城址碑が建てられており、その碑の前には百年後に掘り起こすタイムカプセルの目印が残されていた。
遺構としては「見応えがある」の一言に尽きる場所だが何故か指定史跡にはされていない。

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