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筑前:岩門城址(いわとじょうあと)

住 所 :福岡県那珂川市山田
築城者 :大蔵種光
築城年代:長保元年
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・土塁
指定史跡:未指定
訪問日 :平成25年04月04日

歴史

岩門城は築城年代の詳細は不明だが平安時代に大蔵種光(おおくらのたねみつ)が安徳天皇の警護の為に築城した事が始まりと云われている。
鎌倉時代に起きた「元寇の戦い」では大宰府を守る拠点としても使用された。
弘安年間には九州の雄:少弐氏の居城となっており城主は武勇の士でも有る少弐景資(しょうにかげすけ)であった。
景資は文永・弘安の役で戦功があったが元寇後に景資の兄である経資が実権を握るようになり景資は経資と鎌倉幕府に不信感を抱くようになる。
その不信感は日増しに強まり遂に弘安八年に起きた「霜月騒動」をきっかけに景資は安達盛宗(あだちもりむね)と共に挙兵する。
これが「岩門合戦」と呼ばれ対する鎌倉幕府も経資を討伐軍として岩門に出撃しここに兄弟による戦いが勃発する事となった。
戦いは経資軍が急襲を仕掛け景資も岩門城で防戦するが、背後に廻った経資の軍によって岩門城は落城してしまう。
その際に景資は自害し反乱は鎮火する事となる。
その後永正年間に大内氏が少弐氏を滅ぼすと岩門城も廃城となった。

現在

現在の岩門城址は城山として山腹や山頂に曲輪などの遺構が残っている。
この城山周辺にも霜月騒動の戦い跡が残っていた。
城山の標高は200m程度で登山道も整備されており西麗高津神社が登山道入り口となっている。
山頂には本丸跡地や二の丸・出丸などの曲輪や土塁などが残っている。
多少形状が崩れているのは残念だがそれでも古城としては見応えがある城跡でもある。
山頂からは福岡市内が一望する事が出来、晴天の日は博多湾も見る事が可能だ。
元寇襲来時は大宰府への守りの拠点となっていた城だが当時もここから蒙古軍の動きを確認していたのだろう。

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