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筑後:赤司城址(あかしじょうあと)

住 所 :福岡県久留米市北野町赤司1747-4
築城者 :赤司永通
築城年代:不明
形 式 :平城
遺 構 :土塁・堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成28年05月03日

歴史

赤司城の築城年代は不明だが赤司永通が築城したと云われている。
赤司氏は源頼朝に属して戦功を立て筑後国の守護を命じられた草野氏の一族である。
その後赤司氏は大友氏の配下となるが永禄十二年に赤司資源が戦死すると秋月氏がこの地方一帯の主となる。
関ヶ原の戦い後に赤司城は田中吉政の所領となるが元和元年の一国一条令により廃城となると、元和七年に有馬豊氏(ありまとようじ)が入国し久留米に新城を築城する際に廃城となった赤司城の石垣を用材として使用した。

現在

現在の赤司城址は赤司運動公園と納骨堂が建つ場所に城があったと云われており土塁と堀が残っている模様だが見つける事はできなかった。
この納骨堂の近くに石碑があり八幡神社に城の案内板が残っていた。

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