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筑後:鷹取山城址(たかとりやまじょうあと)

住 所 :福岡県八女市星野村
築城者 :星野中務大輔鎮胤
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・土塁・堀切・畝状阻塞
指定史跡:未指定
訪問日 :平成25年07月22日

歴史

鷹取山城は正式な築城年代は定かではないがこの地方の豪族であった星野鎮忠の曾孫:星野中務大輔鎮胤によって築城されたと云われている。
だが星野氏の家系は複雑な点が多く正当な関係は不明だ。
星野氏は大友氏に属していたが度々離反を繰り返し天正六年に起きた「耳川の戦い」以降大友氏が弱体化すると筑後の豪族達は大友氏から大量に離反した。
同十四年に島津氏が九州制覇へ動き出すと星野氏は島津氏に従うが、豊臣秀吉による九州征伐の戦いで島津氏は本国に撤退を余儀なくされ、星野氏当主:鎮胤と鎮元の兄弟は高鳥居城で豊臣軍を迎え撃つ様に命じられ籠城を行うも圧倒的に不利な戦況を覆すには及ばず討ち死にしてしまった。

現在

現在の鷹取山城址は耳納連山と呼ばれる山脈の最高峰(802m)に多くの遺構を残している。
山頂が本丸跡地で曲輪、土塁、堀切が良好な形として残っている。
堀切に関しては深さ4m程もある遺構が残っており、他の遺構も見栄えが良く更にハイキングコースとしても登山者に愛用されている。
かなり高い位置で築城されている為にこの城址から見渡す展望は美しく晴天の日には筑後平野を一望できる程の景観を誇っている。
車で山頂まで来る事も可能でお手軽に山城を散策できる城址だ。

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