九州の観光情報サイト:Kyusyu.sky.net

筑後:山隈城址(やまくまじょうあと)

住 所 :福岡県小郡市干潟1495
築城者 :少弐頼尚
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成25年7月22日

歴史

山隈城の正式な築城年代は不明だが南北朝時代に日本三大合戦の一つ「筑後川の戦い」の際に、北朝方:少弐頼尚(しょうによりひさ)によって築城されたと云われている。
北朝方はこの城を本陣として南朝方と筑後川を挟んで激突し両方合わせて四千八百余りの戦死者が出たと伝えられている。
この戦いで南朝方が勝利し北朝方を率いた足利尊氏は撤退した。
その後は秋月種実(あきづきたねざね)の居城となるが豊臣秀吉の九州征伐後に小早川隆景(こばやかわたかかげ)の領土となり山隈城を修築する。
だが小早川氏が国替えになると廃城となった。

現在

現在の山隈城址は城山公園として整備されており公園内に遊歩道ができている。
この花立山の山頂に本丸跡があり本丸跡石碑や大山祇神社が祀られている。
その本丸跡から北西に少し下った尾根上に伸びている場所が二の丸になっている。
本丸や二の丸周辺に曲輪があり見所が要所に残っている。
更に本丸跡から見る筑後平野は絶景で昔この地で激戦が繰り広げられたとは思えない程素晴らしい場所となっている。

MAP