豊前:馬ヶ岳城址(うまだだけじょうあと)
住 所 :福岡県行橋市大谷
築城者 :源経基
築城年代:天慶五年
形 式 :山城
遺 構 :土塁・堀切・曲輪
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成25年11月17日
築城者 :源経基
築城年代:天慶五年
形 式 :山城
遺 構 :土塁・堀切・曲輪
指定史跡:市指定史跡
訪問日 :平成25年11月17日
歴史
馬ヶ岳城は大宰大弐(だざいのだいに)として九州に下った源経基(みなもとのつねもと)が築城した城だ。
経基が太宰大弐として豊前に新城を築城の際に如体権現に参籠し祈誓を行い「愛宕(あたご)将軍神が神馬に乗って現れた」夢を見てこの地を探しあて馬ヶ岳と名付けられたと云われている。
築城後は橘公頼(たちばなのきみより)の子:筑前守昌頼を豊前守護として居城させ七代まで栄え続いた。
だが仁平元年に源為朝が豊後より侵攻して馬ヶ岳城は落城し城主:頼行は自害して果てた。
建武年間頃に当城は多くの隣接する勢力者達が争っていたが貞和年間に親王の臣:新田上野介義基が馬ヶ岳城に入城し三世代まで新田氏の居城として南朝の九州における拠点となった。
その後も争いが絶えなかったが天正十五年に豊臣秀吉の九州征伐の際に秀吉は当城に立ち寄り宿舎とし、平定後の豊前国は秀吉の参謀で名軍師:黒田孝高(くろだよしたか)の領土となり中津城築城までこの城を拠点とした。
慶長五年に勃発した「関ヶ原の戦い」の功績により黒田氏が筑前に移封されると細川忠興の居城となるが元和元年の一国一条令により廃城となった。
現在
現在の馬ヶ岳城址は馬ヶ岳の山頂付近に曲輪・土塁等を残している。
山頂までは途中から本丸跡(西山)二の丸跡(東山)に分かれており本丸跡地には新田義基公の石碑が建っている。
二の丸跡地は展望台となり堀切や土塁等が確認できる。
市指定にされている山城跡なのだがあまり見所が無いかもしれない。
だが大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されてから官兵衛所縁の城として多くの方に親しまれるようになっており、現在ではガイド付きの登山として楽しめる様になっている。