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筑後:久留米城址(くるめじょうあと)

住 所 :福岡県久留米市篠山町444
築城者 :毛利秀包
築城年代:天正十五年
形 式 :平山城
遺 構 :石垣・堀
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :令和元年06月28日
  • 県指定史跡
  • 続日本100名城

歴史

久留米城は永正年間にこの地の土豪(どごう)が拠点としていた城で筑後川沿いの小高い山に築かれたのが始まりで高良山(こうらさん)勢力の出城だった説が有力だ。
その後大友氏と龍造寺氏の覇権争いで当城も重要拠点として度々戦火に巻き込まれ幾度となく城主がかわる。
天正元年には高良山座主良寛(りょうかん)が城主として居城しているが、座主の座を巡って兄弟で闘争を繰り返しており天正十五年に豊臣秀吉の九州征後に毛利秀包(もうりひでかね)が入城すると、本格的な改築に着手し大規模な城郭へと変貌した久留米城は次男:則政が城主となる。
だが関ヶ原の戦いで毛利氏が断絶すると田中吉政(たなかよしまさ)が筑後一国の主となり、久留米城は筑後北部の拠点でもあった。
しかし元和六年に吉政の子:忠政が嗣子無く没すると田中氏は徐封となる。
田中氏は久留米城の改築を行っている最中に徐封となった。
元和七年に有馬豊氏(ありまとようじ)が大坂の陣で功績をあげ入城すると、田中氏が行っていた城普請を再開するが度々構築や再整備が必要となり完成は四代:頼元の時代まで歳月を要する事となる。
その後は明治時代まで有馬氏の居城として使用された。

現在

現在の久留米城址は石垣や堀など、多くの遺構を残している。
天守台跡には有馬三氏を祀る篠山神社や有馬記念館があり地元住民の方の参拝の場所となっている。
久留米市内より少し離れた場所にある為か余り人通りはないが巨大な石垣や濠、櫓跡といったと遺構は良好な形を残しており遠くからでも城址だとすぐに気付く規模を誇っている。
近辺には筑後川が流れており戦略上に非常に重要な城だと分かる造りをしている。
素晴らしい遺構を残している久留米城址は必見の城址だ。

続日本100名城スタンプ設置場所

篠山神社社務所受付

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