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豊後:岡城址(おかじょうあと)

住 所 :大分県竹田市竹田2889
築城者 :緒方惟栄
築城年代:文治元年
形 式 :山城
遺 構 :天主台・石垣・井戸跡・土塁・曲輪
入場料 :高校生以上 300円 / 小人 150円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :平成18年09月09日
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

岡城は文治元年に緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が源頼朝(みなもとのよりとも)と義経(よしつね)を迎え入れるべく築城されたと伝えられている。
その後、豊後国守護大友氏の分家で志賀貞朝(しがさだとも)が後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の命を受け城を修繕して北朝と戦ったと記されている。
天正十四年に岡城を天下に知らしめた戦い「豊薩戦争」が起きると島津氏の大軍が岡城を包囲するが志賀親次が城を守って良く戦い抜き落城を防いだ事により豊臣秀吉から感状を与えられた。
しかし文禄二年に豊後大友義統(おおともよしむね)が領地を没収されると同時に志賀氏も城を去る事となった。
文禄三年に中川秀成(なかがわひでなり)が入城し岡城を大修繕するが度々台風や地震の被害を受けると明和年間には大規模な火災が起こり城内の大半を焼失している。
だが中川氏は明治時代まで岡城を動く事はなく廃藩置県により城は廃城となった。

現在

現在の岡城址は国指定にされ石垣など多くの遺構を残している。
滝廉太郎(たきれんたろう)の「荒城の月」として有名な城址で平日、土日に関わらず多くの方が訪れている。
遺構としても山城らしく立派な石垣が多数残され形も良好だ。
見所は多く広大な規模を誇る城址に多数の遺構を残している事だろう。
是非大分に来たら一度は見ておくべき場所である。
晴天の日には九重連山や阿蘇山なども見え景色も堪能できる。

日本100名城スタンプ設置場所

観覧料入城口売場

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