備前:乙子城址(おとごじょうあと)
住 所 :岡山県岡山市東区乙子
築城者 :宇喜多直家
築城年代:天文十三年
形 式 :山城
遺 構 :曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和04年05月06日
築城者 :宇喜多直家
築城年代:天文十三年
形 式 :山城
遺 構 :曲輪
指定史跡:未指定
訪問日 :令和04年05月06日
歴史
乙子城は宇喜多直家が天文十三年に築城したと云われている。
だが、直家の主君である村上宗景が先に築城していたとも云われている。
直家は、天文十三年に初陣を飾り、そこで武功をたて、この地を与えられ乙子城を築城している。
直家はこの地で力を蓄え、勢力を増すと新庄山城に拠点を移すと、乙子城は弟の忠家が城主となった。更に永禄二年に沼城へ本拠を移すと忠家も直家に従い、沼城へ移っている。
その後、直家は備前を平定するが、乙子城は天正十年位まで機能していたと思われている。
現在
現在の乙子城址は標高40mほどの丘陵に曲輪の遺構を残している。
城址には乙子大明神が祀られており、山頂までは登山道が整備され10分程度で登る事が出来ている。
決して大規模な城址ではないが、宇喜多氏を語る上では非常に重要な城址となっている。