備前:勝尾山城(かつおやまじょうあと)
住 所 :岡山県岡山市北区山上3434
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・竪堀・畝状竪堀
指定史跡:未指定
訪問日 :令和04年05月05日
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :曲輪・竪堀・畝状竪堀
指定史跡:未指定
訪問日 :令和04年05月05日
歴史
勝尾山城の詳細は不明だ。
毛利氏が宇喜多氏の忍山城を攻める際に、吉川吉家や伊賀与三郎が立て籠もった城だと云われている。
天正九年、伊賀与三郎の父:久隆が急死すると、主家である宇喜多氏から毛利氏へ寝返り、勝尾山城を修繕し陣を敷いた。
そして忍山城に救援に来た宇喜多勢を急襲する予定だったが、宇喜多直家が救援に来なかったため、与三郎は急遽、金川城へ攻め寄せるも落城する事は出来なかった。
現在
現在の勝尾山城址は勝尾山に遺構を残している。
勝尾山の登山道は勝尾峠の近くに標識が出ている。
その標識から登山道らしき道を進むと、山頂付近に畝状竪堀や堀切、虎口の遺構を確認できる。
山頂が本丸跡となり、曲輪や土塁の様な遺構が確認できた。