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備中:庭瀬城址(にわせじょうあと)

住 所 :岡山県岡山市北区庭瀬829-5
築城者 :三村元親
築城年代:不明
形 式 :平城
遺 構 :石垣・曲輪・堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成30年11月16日

歴史

庭瀬城は戦国時代に三村元親が隣国:宇喜多氏の侵攻に備え築城した城だ。
天正十年に織田信長による中国攻めの際、羽柴秀吉率いる軍勢が高松城を攻め毛利氏の防衛拠点城として城主:井上有景が守備にあたるが、立地的に孤立すると読んだ小早川隆景(こばやかわたかかげ)や、 吉川元春(よしかわもとはる)が撤退を命ずるが有景は徹底抗戦し秀吉に敗れてしまう。
その後は宇喜多領となるが慶長五年の「関ヶ原の戦い」によって戦功を挙げた元宇喜多氏家臣:戸川逵安(とがわみちやす)が入城し庭瀬藩を立藩すると城を改修し庭瀬陣屋を構えて城下町の整備も行う。
だが延宝七年に四代目藩主:安風が死去すると継嗣が無く戸川氏は断絶してしまう。
その後は久世氏、松平氏と続き元禄十二年に板倉氏が入邦すると以後明治時代まで板倉氏の居城となった。

現在

現在の庭瀬城址は清川神社となっており境内とその周辺に遺構が残っている。
神社周辺は川となっておりこれが堀跡となる。
またその周辺には石垣も確認でき境内が庭瀬陣屋址となっている。
近隣の立成寺に表門が遺構されており、近くには撫川城址(なつかわじょうあと)も残っているので是非、両城とも立ち寄って頂きたい場所だ。

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