信濃:小諸城址(こもろじょうあと)
住 所 :長野県小諸市丁315
築城者 :武田信玄
築城年代:天文二十三年
形 式 :平山城
遺 構 :天守台・現存門・石垣・曲輪
入場料 :大人 300円 / 小人 100円(懐古園散策)
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年08月11日
築城者 :武田信玄
築城年代:天文二十三年
形 式 :平山城
遺 構 :天守台・現存門・石垣・曲輪
入場料 :大人 300円 / 小人 100円(懐古園散策)
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年08月11日
歴史
小諸城は天文二十三年に武田信玄(たけだしんげん)が築城した城だ。
小諸城は元来この地の築かれていた鍋蓋城(なべぶたじょう)を拡張し縄張りは武田軍の軍師:山本勘助(やまもとかんすけ)が行ったと伝えられている。
だが天正十年に武田氏が織田・徳川連合軍によって滅亡すると小諸城は滝川一益(たきがわかずます)の所領となった。
天正十年に起きた「本能寺の変」で織田信長が倒れると一益は北条氏と交戦するも敗退したため小諸城に一旦入城した後に伊勢に退却した。
一益退却後この地は徳川氏と北条氏の和議によって徳川領となり依田康国(よだやすくに)が城代をつとめた。
天正十八年に徳川家康が豊臣秀吉の命により関東へ移封となると仙石秀久(せんごくひでひさ)が小諸城に入城した。
秀久は小諸城を近大城郭へと大改修する。
元和八年に仙石氏が移封となると松平憲長が城主となった。
その後の小諸城は青山、坂井、西尾、松平、牧野氏が城主をつとめ明治時代まで栄えた。
現在
現在の小諸城址は懐古園(かいこえん)として敷地内に多くの遺構が残っている。
敷地外にも大手門が現存として残されており見所満載だ。
園内には天守台や二の門跡、馬場に多くの野面積が残されている。
野面積は迫力があり遺構状況も大変良いので是非見て頂きたい。
本丸跡地には懐古神社が建てられており多くの参拝者が来られている。
また動物園や遊園地も隣接しており家族連れで楽しめる城址だ。
日本100名城スタンプ設置場所
懐古園事務所入口