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信濃:松本城(まつもとじょう)

住 所 :長野県松本市丸の内4-1
築城者 :小笠原貞朝
築城年代:永正元年
形 式 :平城
遺 構 :現存天守・櫓門・石垣・堀
入場料 :大人 700円 / 小人 300円
指定史跡:国指定史跡
訪問日 :令和元年08月11日
  • 国宝
  • 国指定史跡
  • 日本100名城

歴史

松本城は永正元年に築城した深志城(ふかしじょう)が始まりだと云われている。
戦国時代に周囲で争いが勃発すると信濃守護:小笠原貞朝(おがさわらさだとも)は居城を林城に移しその周囲を囲む様に多くの支城を築城した。
深志城もその支城として家臣:島立貞永が築城し林城の防衛にあたった。
だが天文年間に甲斐の武田晴信(後の信玄)が信濃へ侵攻すると小笠原氏は善戦空しく晴信によって没落する事となる。
晴信は林城を破却し深志城に家臣:馬場信春(ばばのぶはる)を置きこの地方を支配下に置いた。
晴信はこの地を足掛かりに北信濃の村上氏、越後国の長尾景虎(ながおかげとら)(後の上杉謙信(うえすぎけんしん))と抗争の末信濃国を所領とした。
だが天正十年に武田氏が織田信長に滅ぼされると徳川家康や小笠原旧臣の助力を得て小笠原貞慶(おがさわらさだよし)が深志城に入城し小笠原氏は大名に復帰した。
貞慶は深志城を改修し松本城と名を改めた。
天正十八年に豊臣秀吉の命により徳川家康が関東に移封されると貞慶もそれに従い下総へ移り石川数正(いしかわかずまさ)が松本城に入城した。
数正は松本城の大改修を行い近大城郭へと拡張する。
石川氏はその後も松本城を治めるが慶長十八年に石川氏は改易されてしまい次に小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、戸田氏と城主をかえ明治時代に至った。

現在

現在の松本城は現存天守が残る城として国宝に認定されている。
松本城公園内にある遺構はその天守は勿論だが櫓門や堀など多くの遺構が堪能できる。
現存天守や月見櫓には多くの方が来城されており入城待ちは覚悟した方が良いだろう。
天守は五層と雄大な形を残しておりその姿はどの角度から見ても様になり黒漆塗りがさらに格好良くみせている。
更に二の丸太鼓門(たいこもん)や二の丸御殿跡など多くの見所を擁し松本城は松本市のシンボルとなっている。
まさに日本の名城と名高い松本城は何度も立ち寄りたくなる場所だ。

日本100名城スタンプ設置場所

松本城管理事務所(本丸庭園内)

松本城関連サイト

松本城-松本城をより楽しむ公式ホームページ

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