筑前:福岳城址(ふくたけじょうあと)
住 所 :福岡県朝倉市秋月190
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :土塁・空堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成30年12月15日
築城者 :不明
築城年代:不明
形 式 :山城
遺 構 :土塁・空堀
指定史跡:未指定
訪問日 :平成30年12月15日
歴史
福岳城は築城者や築城年代は不明だが秋月氏家臣:福武道恩の居城であった。
道恩の祖は秋月氏と同族で家内でも有力な臣であった。
だが天正十五年に起きた豊臣秀吉による「九州征伐」では当初秀吉に抵抗していた秋月氏だが、次第に戦況が不利になると道恩は秋月氏の使者として秀吉に降伏を申し入れるも秀吉は拒否した為に秋月種実(あきづきたねざね)・種長(たねなが)親子は揃って秀吉に面会し許しを請うた。
福武城はその後、一国一城令が発令されるまで使用され城の北端の丘に時櫓と呼ばれ秋月城下に時刻を鳴らす鐘が置かれていた。
現在
現在の福岳城址は福岳山の頂上から中腹にかけて土塁や空堀の遺構が残っている。
麓から山頂まで階段が整備されている為に比較的行き易い。
山頂には宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)が奉られており江戸時代にはこの地で鐘を鳴らしていたようだ。
そこから秋月の町を一望する事ができる。