肥前:佐賀城(さがじょう)
住 所 :佐賀県佐賀市城内2-18-1
築城者 :鍋島直茂
築城年代:慶長七年
形 式 :平城
遺 構 :復元本丸御殿・天守台・石垣・水掘
入場料 :募金として一人100円
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :令和元年06月29日
築城者 :鍋島直茂
築城年代:慶長七年
形 式 :平城
遺 構 :復元本丸御殿・天守台・石垣・水掘
入場料 :募金として一人100円
指定史跡:県指定史跡
訪問日 :令和元年06月29日
歴史
佐賀城は九州北部で猛威を振っていた龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が居城の村中城を拡張したのが始まりだ。
だが隆信が天正十二年に島津・有馬連合軍と島原で起きた「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で不覚を取り戦死すると龍造寺氏の実権は名将:鍋島直茂(なべしまなおしげ)に委ねられる形となる。
直茂は村中城の拡張を計画するが当主である龍造寺政家(りゅうぞうじまさいえ)が居城していた為に計画は頓挫してしまう。
江戸時代になり佐賀藩主として直茂が任命されると村中城の拡張を行い九年の歳月をかけて佐賀城を誕生させた。
それから明治時代まで鍋島氏が佐賀城を居城としたが二度の火災に見舞われ天守閣を焼失しすると以後天守閣の再建は行われなかった。
明治七年に「佐賀の乱」が起こり反乱軍によって佐賀城は一時占拠され建物の大半を失ってしまうが昭和の時代に多くが復元されている。
江戸時代の佐賀藩は外様各藩の中でも八番目に高い石高を誇っていたが、これもすべて鍋島氏の業績として今も称えられている。
現在
現在の佐賀城は本丸に佐賀城本丸歴史館が建てられており佐賀城の歴史を知る事ができる。
入場料は無料だが来訪者から満足度に応じての募金を募っておりそれが入場料替わりともいえる。
歴史館には多くの方が来場されており館内には鍋島氏時代の物品が展示されている。
更に天守台や石垣、水堀などが残っており土塁や櫓が復元されている。
佐賀城大手門の横にある天主台は五層の天守閣の面影があり、その復元を期待する場所となっている。
日本100名城スタンプ設置場所
佐賀城本丸歴史館受付窓口