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歴史

  
  
  
  
  

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵に軍事拠点として配下の諸大名に築城した事で有名だが、元は松浦党波多三河守親家臣:名護屋筑前守経述(なごやちくぜんのかみつねつじ)の居城である垣添城があった場所に石垣を用いて大きく改築して出来た総面積17万uにも及ぶ巨大な城だ。
築城に関しては、黒田如水(くろだじょすい)、長政親子、加藤清正と言った築城名人達が縄張りをし、 築城期間は何と一年未満と言われかなり突貫工事な城だった。
 この城の目的は全国各地の大名を集結させ朝鮮半島:明国への出兵だったが、縄張りは、本丸・二の丸・三の丸に山里曲輪などがあり、天守閣は五重七階建で、 とても朝鮮出兵の為への中継地点の城とは思えない程、豪華爛漫な城だ。
 だが2度に渡る朝鮮出兵の戦いで勝利を挙げる事はできず、秀吉の死で終焉を迎え名護屋城はその役目を終える事となる。
その後、唐津城を築城する際に資材などを名護屋城から使用しており、 更に寛永十四年に起きた「島原の乱」で一揆軍の拠点として使用される恐れがあった為、江戸幕府の命により名護屋城を破却する事となった。


現在

  
  
  

現在、名護屋城址は国特別史跡に指定されており、城跡敷地内に名護屋城博物館が建てられており模型や出土品などを展示している。
名護屋城自体の遺構も石垣や曲輪などが良好な形で残っており、九州でも熊本城、福岡城並みの広さを誇っているだけあり、見所満載の場所となっている。
更にこの名護屋城址近辺には、朝鮮出兵の為に集結した日本全国の大名達の陣跡もあり、 その遺構散策も、楽しむ事が可能な城マニアには堪らない場所になっている。
この城のスケールの大きさが当時秀吉政権の偉大さを物語っている。


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