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歴史

  
  
  
  

唐津城は豊臣秀吉の家臣:寺沢広高(てらざわひろたか)が文禄四年に唐津に封じられ、 更に慶長五年の関ヶ原の戦いで東軍に味方し加増されると、慶長七年に新城を築城し約7年の歳月を費やし同十三年に完成した城だ。
築城には九州大名の助力を受け、名護屋城の解体資材を用いている。
 当時、唐津城は陸続きだったが、城が在る満州山を切り離し防衛策の一つとして 人口の川をつくらせ、島の様な地形に変えている。
だが、広高の嫡男:堅高(かたたか)は寛永十四年に起きた「島原の乱」で一揆側に攻められた責任を取らされ天草4万石を没収されると、正保四年に自殺し、嗣子(しし)がいなかった為に、寺沢氏は断絶してしまう。
その後の唐津城は城主が頻繁にかわり、大久保氏、松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と藩替りし明治時代に廃藩置県となると舞鶴公園として現在に至っている。
 築城時は、天守閣が無く昭和41年に観光の文化施設として天守台跡に慶長様式の模擬天守閣を造り現在に至っている。


現在

  
  
  

現在、唐津城は唐津市のシンボルとして観光名地になっており、多くの方が訪れている。
天守閣が無い城にしては大規模な形を誇っており、石垣や曲輪の遺構も良好な形で残っている。
城内は出土品や鎧等が展示されており、最上階からは唐津市や、虹ノ松原が望める景観になっている。
満州山の山頂に築城されており、遠方からでも城を確認する事は容易である。
また、模擬天守があるおかげで、迷わずに散策する事ができた。
なお、この地域では10月末から11月初旬にかけて「唐津くんち」と呼ばれる祭りを行っておりユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
この期間に立ち寄った際には是非、こちらも堪能して欲しい。


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