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歴史

  
  
  
  

佐賀城は九州北部で猛威を振っていた龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が居城の村中城を拡張したのが始まりだ。
だが、隆信が天正十二年に島津・有馬連合軍と島原で「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で不覚を取り戦死すると、龍造寺氏の実権は名将:鍋島直茂(なべしまなおしげ)にゆだねられる形となる。
直茂は村中城の拡張を計画するも、当主である龍造寺政家(りゅうぞうじまさいえ)が居城していた為、計画はとんざしてしまう。
 江戸時代になると佐賀藩主として直茂が任命され、拡張を行い9年の歳月を掛けて佐賀城を拡張させた。 それから明治時代まで鍋島氏が佐賀城を居城としたが、2度の火災に見舞われ天守閣を焼失し、以後天守閣は再建されなかった。
 明治七年に「佐賀の乱」が起こり反乱軍によって佐賀城は一時占拠され、建物の大半を失ってしまうが昭和の時代に多くが復元されている。
江戸時代の佐賀藩は外様各藩の中でも8番目に高い石高を誇っていたが、これもすべて鍋島氏の業績として今も称えられている。


現在

  
  

現在、佐賀城は本丸に佐賀城本丸歴史館が建てられており佐賀城の歴史を知る事ができる。
入場料は無料とのことだが、来訪者から満足度に応じての募金をつのっており、それが入場料の代わりともいえる。
歴史館には多くの方が来場されており、その歴史館には鍋島氏時代の物品が展示されている。
更に天守台や石垣、水堀などが残っており土塁や櫓が復元されている。
佐賀城大手門の横にある天主台は、五層の天守閣の面影があり、その復元を期待する場所となっている。


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