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歴史

  
  

佐伯城は、慶長七年に関ヶ原の戦いで功績を挙げた毛利高政(もうりたかまさ)が日隈城より入封、 当時佐伯は栂牟礼城(とがむれじょう)が主城だったが、険阻な山城である為に、高政はこれを廃し、 新たに築城し、三年後の慶長十一年に完成したのが佐伯城である。
当時、二万石の佐伯城だったが、八幡山山頂に築城された城は三層からなる天守閣と、 多数の櫓や門があり築城は困難を極めたといわれている。
佐伯城は、南北に羽を広げた形をしたことから別名、鶴屋城・鶴ヶ城・鶴城等とも呼ばれていたが、山城だった為に、不便が多くなり、 寛永十四年、そのふもとに三の丸を居館として築いた。毛利氏の居城として明治時代まで栄えたが廃藩置県により廃城となる。
毛利高政は元来、毛利家とは無縁の続柄であり、森高政であったが、毛利輝元に気に入られると兄弟の契りを結び、一族は「毛利氏」を称して改姓した。


現在

現在、佐伯城址は城山歴史公園となっており城山の山頂には多くの遺構が残っている。
三層天守閣があった城址だけに、遺構の石垣は立派な物で二万石の城とはとうてい思えない。
また、登山道入り口には現存の櫓門や山頂には天守台が残っており、麓には城下町も残されていた。
山頂の城域自体はそこまで広くはないが、城のつくりは大変立派であり、まさに難攻不落の堅城だ。


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