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歴史

  
  
  
  

中津城は天正十五年の九州征伐後に秀吉の軍師でもある黒田孝高(くろだよしたか)が入国し築城を開始し、翌年に完成した。
 孝高は秀吉の天下取りに大きく貢献したが、秀吉にその才能を逆に恐れられ大坂から遠く離れた九州の地に追いやられた。
その後、関ヶ原の戦で孝高の息子:長政が活躍し黒田氏は筑前に入封すると、細川忠興(ほそかわただおき)が入国となる。
忠興は慶長六年に小倉城を築城し中津城を嫡男:忠利(ただとし)に委任した。
そして寛永九年に忠利は熊本に転邦し小笠原氏が入国、さらにその後、奥平氏(おくだいらし)とかわり廃藩置県に至った。
中津城は天守閣の存在は不明だが、財政難で断念したか建築する必要性がなかったと言う説が有力である。


現在

  
  
  

現在、中津城は中津城公園内に模擬天守や模擬櫓などが有り、中津市を代表する観光スポットになっている。
この城は周防灘から山国川をつたって堀に海水が引き込まれる造りをしており日本三大水城に選ばれている。
天守閣は残念ながら模擬天守で復元ではないが、立派な形をしており是非立ち寄りたい場所だ。
また中津城の一番の見所は、その模擬天守の裏手の石垣だ。この場所の石垣は黒田氏時代と細川氏時代の石垣が左右で分かれており大変貴重な遺構として残されている。
この城は別名「扇城」と言われており、その名の通り縄張りが直角三角形の形をしていて、築城の名手:黒田孝高が考案して築城した良き造りをしている。


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