kyusyu.sky.net

歴史


麦島城は九州征伐で武功を挙げた小西行長(こにしゆきなが)が肥後南半国に封じられ、天正十六年に家臣の小西行重(こにしゆきしげ)(元の名は木戸末郷)に命じて築城させた城で、当時は八代城と呼ばれていた。元来、八代は古麗城が拠点となっていたが山城で交通が不便だった為に、新城を築城したが麦島城地域は中世以来の貿易港でもあった為、南蛮貿易の拠点としても重要視された城でもあった。
 だが、行長は慶長五年、関ヶ原の戦いで西軍方に味方して斬首刑となり、北肥後城主の加藤清正(かとうきよまさ)が、肥後一国を領する様になると、麦島城は加藤政権の支城となり慶長十七年に家臣:加藤正方(かとうまさかた)が入城し、城の改修を行った。
 その後、元和元年の一国一城令でも特例として麦島城は熊本城と共に、熊本藩二城として特別に認められるが、元和五年にこの地域を大地震が襲い麦島城は倒壊してしまう。
元和八年に現在の八代城を築城し歴史から完全に消えてしまった。


現在


現在、麦島城址は麦島地区に多少の遺構を残している。
当時の地震倒壊の影響で、地下にはまだ多くの遺構が残っているといわれており、平成の発掘調査では多くの遺構が出土している。
 だが、大半は住宅地になっており、天守台跡地に牌と説明板が建っている。
これは発掘調査が話題になり、多くの見学者が訪れるようになった為に施した物だといわれているが、住宅地にある為、散策時は騒がずに見学をして貰いたい。


Copyright(C) 2020,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。