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歴史

  
  
  
  

元和元年に一国一城令が出されると、日本各地の城が破却となり、城は一藩に一城のみとされたのだが、熊本藩は特例で、熊本城以外に麦島城(むぎしまじょう)の存続が認められていた。 理由として、熊本藩は近隣に薩摩藩が有り、更に天草に多く存在するキリシタンへの監視として幕府が二城を許可したのだといわれている。
だが、元和五年にこの地方で大地震が起こり麦島城は廃城となるが、熊本藩二代藩主:加藤忠広は幕府の許可を得て新城を築城した。
元和八年に完成した城が八代城である。城は大天守・小天守、7つの櫓が有り、一国一城後の特例として築城された城とは思えないほどの規模を誇っていた。
だが寛永九年に忠広が改易されると、細川忠利(ほそかわただとし)が熊本藩主となり忠利の父:忠興(ただおき)が隠居城として八代城に居城したが、正保十二年に忠利が没すると、細川氏筆頭家老の松井興長(まついおきなが)が八代城城主となり、松井氏の居城として使用され明治時代を迎えた。


現在

  
  
  
  

現在、八代城址は天守台や石垣、堀などが残っており遺構としてはかなり良好な形をしている。
本丸址地には八代宮が建っており、参拝の方が多く来られている。
この城の見所はやはり堀を囲む石垣だろう。綺麗な形を残している石垣は遠目からでも一目出来るほどの形をしている。
また、見所の場所にはくまもんが案内しており、是非くまもんを探してみるのも良いだろう。
本丸跡地や北ノ丸跡には庭園跡も残されており、是非立ち寄りたい場所だ。


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