kyusyu.sky.net

歴史


隈本城は享禄年間時代にこの地で権力を誇っていた鹿子木親員(かのこぎちかかず)が千葉城に入城するが、規模が小さく茶臼山丘陵西南部に新城として築城したのが始まりだ。
だが隈本城は肥後国の主城であったため外敵が多く、鹿子木氏は天文二十年に豊後の大友宗麟に追放され隈本城は城親冬(じょうちかふゆ)が城主となる。更に宗麟は肥後の守護:菊池氏を滅ぼし肥後の実権は宗麟が手中に収める。
 だが勢力を伸ばす肥前:龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)と北上を開始した薩摩:島津義久と大友宗麟による3氏の衝突が始まると、島津氏が隈本城を確保し、更に進撃を進め龍造寺氏と阿蘇氏を滅ぼし肥後を統一、大友宗麟の領土豊後にまで軍を進めるが、宗麟から援軍要請を受けた豊臣秀吉が、九州征伐の軍を起こし島津義久を降伏させ、隈本城には城久基が入城する。その後も肥後は混乱が続くが秀吉の子飼い加藤清正を隈本城に入城させ混乱を収拾させた。
 関ヶ原の戦い後、加藤清正は新城:熊本城を築城すると隈本城は新城二の丸の一部となってしまう。


現在

現在、隈本城址は古城堀端公園となっており石垣などが残っている。
遺構としては石垣や堀が確認できるが横に日本三城の熊本城が有るので、熊本城に立ち寄った際に此方も観るのも散策の面白さだろう。


Copyright(C) 2020,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。