kyusyu.sky.net

歴史

  
  
  

一ノ岳城は築城者や築城年代は不明だが、九州探題であった千葉氏の居城であった。
天正年間には勝尾城主:筑紫広門の支城としてあった。 広門は岩屋城主の高橋紹運と度々激突していたのだが、同十四年に和睦している。
だが、同年に薩摩:島津氏が九州制覇の為この地に侵攻すると、 筑紫氏の本拠地である勝尾城は落城してしまい広門は大善寺に幽閉されてしまう。
残された筑紫氏の家臣団は一ノ岳城に籠城し島津氏に抵抗するも、圧倒的に不利な情勢であった為一ノ岳城も落城してしまう。
しかし翌年、豊臣秀吉による九州征伐の軍が島津氏と激突すると広門は大善寺から脱出し、家臣団を率い一ノ岳城の島津勢に襲い掛かり城の奪回に成功している。


現在

  
  
  

現在、一ノ岳城址は一ノ岳山頂に多くの遺構を残している。
一ノ岳は標高648mの山だが、山岳地図や国土地理院には隣接している陣の尾山が一ノ岳山頂となっているが、古来からこの地が一ノ岳山頂の様だ。
山頂には南北に細長く伸びた曲輪が確認出来、その北端の三角点が在る場所が本丸となる。
その本丸の西斜面には石垣が確認出来た。また、本丸から東には二の丸があり立派な石垣が残されているが、残念ながら今回その場所は発見できなかった。
更に本丸から北西に向かうと出丸と思われる場所があり、土塁や石垣を確認する事が出来た。
山頂から遺構を捜し歩くとこの城が如何に天然の要塞だったかが一目で分かる場所となっている。


Copyright(C) 2020,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。