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歴史

  
  
  

薦野城の築城年代は不明だが、薦野氏が築城したと云われている。
薦野氏は丹治式部少輔峯延がこの地に住み薦野姓を名乗っている。
薦野氏は宗像氏や立花氏の傘下に与していたが永禄十一年に立花鑑載(たちばなあきとし)が主家である大友氏に反旗を翻すと、 反旗に反対姿勢だった薦野宗鎮(こものむねしげ)は鑑載により殺された。
だが、宗鎮の子:増時は大友氏重臣:戸次道雪(へつぎどうせつ)と共に鑑載を攻略し父の無念を晴らした。その後、増時は立花宗茂に仕えると立花姓を名乗るようになる。
豊臣秀吉による九州征伐後に宗茂が移封されるとそれに従い増時もこの地を離れると、薦野城も歴史からその名を消す事となった。


現在


現在、薦野城は城の山の山頂と中腹に遺構を残している。
城の山には小野公園の林道入り口から養魚池を左に見るルートを歩くと、薦野城と書かれたプレートが建てられており、そこが登山道になる。
プレートは所々に建てらえているが、途中から登山道が自然地形と変わらない道になるので要注意して欲しい。
中腹まで行くと「一の丸跡」に到着するが曲輪と堀切を確認できる程度だ。
非常に無念な事にここで散策を断念してしまった。ここから山頂まで行くと遺構が在るらしいが、登山道らしき道が略無くなる為、この先は今後細心の注意を払い再度トライしてみたい。


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