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歴史

  
  
  

岩石城は保元三年に太宰大弐(だざいのだいに)となった平清盛が築城し、大庭平三景親が城主となったのが始まりだと云われている。
 承久三年に豊後:大友氏の抱城となると、筑前:大内氏とで争奪戦が激しさを増し、正平二十三・往安元年に大内氏の家臣:熊井右近将監親盛が入城して大内氏の居城となる。だが、永禄年間に大友氏に攻め落とされ、再度大友氏の居城となるが応永五年にまたも大内氏が岩石城を奪還し大庭景忠(おおばかげただ)が城主となり、大庭氏の居城となる。
 その後も、豊前・豊後の国境沿い為、常に戦略上の拠点として争いが絶えなかった。
しかし薩摩:島津氏が「耳川の戦い」で、大友氏を粉砕すると、島津氏が九州制覇を実行に移し大友氏領土に侵攻すると岩石城も島津氏の占領下となる。これに対し大友宗麟は豊臣秀吉に救援を要請し天正十五年、秀吉による九州征伐が九州に上陸し、その拠点となったのが岩石城であった。
島津氏は秋月:秋月種実(あきづきたねざね)がこの城を出城として3千の兵で籠城し、豊前有数の堅城名高い岩石城をさすがの秀吉軍もこれには大苦戦をするが、最後は兵力の差を見せつけ落城させ、岩石城は廃城となった。


現在


現在、山中腹に模擬天守として岩石城(添田美術館)が築かれており、岩石山の途中に立ち寄る城好きの方が多数いる。
この模擬天守はスロープカーが設備されており、麓からそのスロープカーに乗って天守閣まで行くのも良いだろう。 (ちなみに道路も整備されているので車でも行ける)
復興天守は健康センターと美術館になっており、美術館には秀吉の岩石城攻略時に立て篭もった秋月氏家臣の鎧などが展示されている。


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