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歴史

  
  
  

有智山城は筑前の雄:少弐氏(しょうにし)の居城として築城し栄えた城だ。
鎌倉時代、二代将軍源頼家は、家臣の武藤小次郎資頼(むとうこじろうすけより)に太宰少弐(しょうに)に命じ、資頼は「少弐」の姓を名乗るようになった。
 少弐氏は筑前に勢力を誇ったが、永享五年に周防:大内氏との筑前争いに敗れ、少弐満貞(しょうにみつさだ)が敗死してしまうと少弐氏は対馬の宗氏を頼って落ち延び、少弐政資の時に豊後:大友氏の力を借り、再び大内氏に対抗し見事、筑前を奪回し有智山城(うちやまじょう)に帰還した。
少弐氏にとって実に60年振りの復興でもあった。
 だが、明応三年に大友氏で大友政親と子の親宗の争いが勃発、政親が殺害されると、大内氏が再び筑前に侵略、少弐氏は徐々に衰退し最後は家臣の裏切りにあった少弐高経(しょうにたかつね)が明応六年に自害、少弐氏は十一代230年の幕を閉じた。


現在


現在、有智山城址は、二重の土塁と空堀が長く残っていた。
土塁は幅5m、高さ6m、長さは100mもあり、空堀は幅10m、深さ6mと大規模な城だった事が伺える。
この城址は探すのが大変で、途中までは案内板が有るが、宝満山登山道入り口の竈神社(かまどじんじゃ)から小道に入り、そこから「うさぎ道」と言われる登山道に入ると城址に着く、だがこの様な場所に有る城址だが、非常に良好な形を残している遺構は必見だ。
有智山城址はかなり雑木林の中に在り、夏場に行く方はそれなりの用意をして行く事をお勧めする。


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