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歴史


宝満城は16世紀半頃に、大友氏一族の高橋鑑種(たかはしあきたね)が宝満城・岩屋城の2城を築城した。 だが、永禄十年に鑑種が主家:大友宗麟(おおともそうりん)に叛き小倉に移封されると高橋紹運(たかはしじょううん)が二城の城主となった。
天正十四年、薩摩:島津氏が九州制覇を目指し北上すると岩屋城に攻め寄せ、紹運が岩屋城に、息子:統増(むねます)が宝満城に立て篭もり籠城するが、 岩屋城は奮闘むなしく落城、紹運は戦死すると統増は降伏し宝満城を開城する。 その後、宝満城は島津氏家臣:秋月種実(あきづきたねざね)の持城となるも、豊臣秀吉の九州征伐で島津氏は秀吉に降伏すると宝満城は廃城したと云われている。


現在

現在、宝満城の遺構等は全くなく、宝満山山頂には麓にある竈門神社(かまどじんじゃ)の上宮と巨大な岩石がある。
宝満城の場所も不明確で、宝満山山頂と云う説と、宝満山に隣接する仏頂山山頂付近ともいわれている。
宝満山自体は登山者が後を絶えず人気スポットになっている為、福岡では有名な山のひとつである。


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