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歴史


猫尾城は別名「黒木城」とも呼ばれ、文治年間に筑後国内で勢力を誇っていた黒木氏によって築城された。
 築城時の城主:黒木助能は、永禄七年に大友氏に攻められ降伏し大友氏の家臣となるが、 天正六年に大友宗麟は薩摩:島津氏に「耳川の戦い」で敗れ勢力が急激に衰退する。
この機に肥前:龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)が筑後に侵攻すると、筑後の諸将は龍造時氏に寝返り、黒木氏も龍造時氏に味方した。
だが天正十二年、隆信が「沖田畷の戦い(おきたなわてのたたかい)」で戦死すると、今度は龍造寺氏が衰退し大友氏が筑後の領土回復を狙い侵攻を開始する。
黒木氏は猫尾城に籠り交戦するが、大友氏の名将:立花道雪(たちばなどうせつ)、高橋紹運(たかはしじょううん)の両名に攻められ落城、城主黒木家永は自害し黒木氏は滅亡した。


現在

現在、猫尾城址は黒木中学校の裏手にある城山に城山公園として残っている。
城山山頂まで車でも行けるように整備されており、山頂には石垣が残っている。
本丸跡地には曲輪も良好な形で確認でき、この山頂から筑後地方を一望できるようになっている。
春は多くの花が咲き乱れ、名所にもなっている。


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