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歴史

  
  
  
  

蔦ヶ嶽城は、築者や、築城年数は不明のままだ。
元来、この地方は宗像氏(むなかたし)の領土であり、白山城を拠点としていたが延元元年に、後の室町幕府の開祖:足利尊氏が九州に落ち伸びた際、宗像大宮司氏俊(うじとし)が尊氏を招き入れ尊氏の支援を行うと、その後蔦ヶ嶽城を修復して本城にとしたと記されている。
その後も宗像氏の居城としてこの地一帯を治めていたが、宗像氏貞(うじさだ)の代に北九州は少弐氏(しょうにし)が滅び、毛利元就(もうりもとなり)と大友宗麟(おおともそうりん)が覇権を巡り激戦を繰り返した。
氏貞は毛利氏に味方して大友宗麟と攻防戦を繰り広げるも、毛利氏が中国地方に引き上げるのを見計らって、宗麟は突如宗像地方に侵攻する。
蔦ヶ嶽城を包囲するも、改築し難攻不落の城となった蔦ヶ嶽城は落城することなく持ち応え和睦に成功する。
だが天正十四年に宗像氏貞が病死すると宗像氏は断絶する。
当城も豊臣秀吉の九州征伐の後に、小早川隆景(こばやかわたかかげ)が筑前に入城すると破却され廃城となった。


現在

  
  

現在、蔦ヶ嶽城址は城山となり、宗像の地元では有名な山として多くの方に親しまれている。
城址は、残念ながら曲輪と昭和時代に復元されたと言われる石垣が残っているのみで、余り遺構が残ってなく散策を 堪能出来なくなっている。だが、登山途中で二の丸跡や当時を和ませる堀切りなどが確認出来た。


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