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歴史

  
  
  

高鳥居城は永仁元年に九州探題北条兼時(ほうじょうかねとき)に従って筑前入りした、河津重貞が築城したと記されている。
 城主が杉氏に替り、天正十五年に薩摩:島津氏の九州制覇の軍が立花山城を目がけて侵攻、それに伴い高鳥居城近郊の宝満山城岩屋城が落城、遂に高鳥居城にも島津軍が押し寄せる。高鳥居城には八百の兵に対し島津軍は数万、多勢に無勢の末に武運虚しく落城してしまう。
 この時、城主:杉禅正の子と乳母は難を逃れる途中追手の手により打ち取られてしまう。(この話が後の守母神社の由縁となる)島津氏の所領となった高鳥居城だが、九州征伐の軍を編成した豊臣秀吉が九州に侵攻、島津軍は早急に軍を薩摩に引き上げるが、高鳥居城には島津氏家臣・星野吉実(ほしのよしざね)・吉兼(よしかね)の兄弟が立て篭もり、立花山城:城主の立花統虎(たちばなむねとら)の軍と激戦を繰り広げるも落城し星野兄弟は討ち死にした。
この戦いを「高鳥居城の戦い」とよび星野兄弟他、三百余名全てが戦死した。
後の名将:立花宗茂はこの時19歳の美少年として出陣して手柄を挙げている。
その後高鳥居城は廃城となる。


現在

現在、高鳥居城址は岳城山山頂に石碑と僅かながら曲輪や土塁を残している。
この場所は城址巡りと言うよりも岳城山の登山コースになっていて、近辺にある若杉山と宝満山と並んで多くの方が連山登山にこられている。
 だが、山頂からの眺めは絶景で登山道も整備されているので比較的訪れやすい城址だ。


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