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歴史

  
  
  

大野城は、西暦663年に朝鮮半島の百済が猛威を振っていた新羅に苦戦し領土を蝕まれると、百済王は大和朝廷に救援を求め、大和朝廷は中大兄王子(なかのおおえのおうじ)と2万の援軍を朝鮮半島に送るが、「白村江の戦い」で唐、新羅連合軍に完敗してしまう。
 唐・新羅の日本侵略に怯えた大和朝廷は大宰府の防衛として山城の大野城を築城した。
城は百済から亡命した百済人の技術力を利用し築城され、後に朝鮮式山城と呼ばれるが唐・新羅軍が日本攻略の軍を編成する事はなく廃城となった。


現在

  
  
  

現在、大野城址は四王寺山一体に遺構を多数残している。
特に「百間石垣」は山間部一体に石垣が残っており、古来の城としては最大級の石垣跡だと推測されている。
他にも建物跡の遺構や、大小の石垣が山の至る所に残されており、この城址の規模の大きさを伺える。 現在も発掘調査中だが、辺りは地元住民の憩いの場所として遊歩道や野外音楽場などが整備されている。


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