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歴史

  
  
  
  

倉城は13世紀半頃に築城されたと云われているが、正式な年式は定かではない。
文永年間に緒方大膳亮帷重(おがただいぜんのすけこれしげ)が居城していたのが初見である。その後は大友、毛利氏と豊前地方の重要拠点として略奪戦が相次いだが、豊臣秀吉の九州征伐後は秀吉の家臣:森勝信(もりかつのぶ)、勝永親子が城主を務め、姓も森氏から中国地方の雄:毛利氏の姓に改名する。
 だが、関ヶ原の戦いで毛利親子が西軍として参戦し敗退すると改易され、細川忠興(ほそかわただおき)が豊前に入国すると、 当初は中津城を居城としたが中津城が小規模で交通の便が不便の為、本土と九州を結ぶ要衝の地で有った小倉城を大改増築した。
築城に7年の歳月を費やし慶長十二年に完成した小倉城は、外人宣教師の土木技術が用いられ、「南蛮造り」と呼ばれる独特の建築法でもあった。
 その後、細川氏が肥後に移ると小笠原氏が入城するも、天保八年の火災により本丸御殿と天守閣が焼失され再建はさせず、更に慶応二年の第二次長州征伐で長州藩に敗れた小倉藩は付火によって小倉城を焼失し熊本城に撤退した。
翌三年に和解が成立するも小倉城は焼却されている為、藩庁は香春に有った奉行所へと移った。


現在

  
  
  

現在、小倉城は小倉のシンボルとして中心部に位置している。
天守閣は昭和34年に復興天守閣として再現されており、城内は歴史資料館となっている。
今では、「南蛮造り」よりも、巌流島の戦いで宮本武蔵と佐々木小次郎の逸話にでてくる事の方が有名になっている。
城内にも巌流島の戦いの逸話が残されている。天守閣は高さ28.7m、石垣の高さ18.8mと言われ小倉城の代名詞である石垣は切石を使わず、足立山から切り出した自然石が大部分で、細川忠興はこの造りをかなり自慢していた様だ。
小倉城内に在る八坂神社では毎年7月に「全国三大祇園」に数えられる「小倉祇園太鼓」の祭りがあり、日本の祭りでは珍しく女人禁制ではない。小倉城を訪れるなら是非、7月に訪れ祭りも楽しんで欲しい。


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