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歴史

  
  
  
  
  

福岡城は、慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」で戦功を挙げた黒田長政(くろだながまさ)が豊前より入国し慶長六年から約7年の歳月を費やして築城した。
入国当初は、名島城(なじまじょう)を拠点としていたが、 城は手狭で交通の便も悪かった為に新城を築くことを決意する。
築城に関しては、石垣積の名人と謳われた重臣野口一成(のぐちかずしげ)の指示により高さ15mにも及ぶ 雄大な石垣造りをしており、長く福岡の繁栄を支える事となる。
また、黒田如水・長政親子は築城の名人とも呼ばれ、完成した福岡城は広大な居城として九州屈指の城となる。
更に、築城された場所は元来福崎と呼ばれていたが、黒田氏ゆかりの地にちなみ、福岡と改名した。
だが長政の死後、二代目:忠之(ただゆき)は側近政治を行う様になり、家老:栗山大善によって、謀反の疑いありと幕府に訴える事件が起こる。
これは「黒田騒動」とも呼ばれ日本三大お家騒動の一つに数えられている。
この訴えにより黒田氏は改易の危機に立たされるが、父:長政による徳川幕府への長年による功績を考慮され改易は免れる事となる。
その後、幕末の時代には十一代藩主:長博によって城を改修し、十二代藩主:長知(ながとも)の時に明治時代を迎えた。


現在

  
  
  

現在、福岡城址は舞鶴公園内として整備されており、市内中心部に位置している。
だが、福岡の発展の古となった割には、知名度は低く、近場にある大濠公園(おおほりこうえん)などの方に足を運ばれる方が大半だ。
しかし遺構はもの凄く、現存櫓や復元櫓、三大天守に黒田氏菩提寺:崇福寺には福岡城から移行された山門などの遺構が残っている。
この、福岡城の造りや遺構からどれだけ規模が巨大で、築城の名手と謳われた黒田親子の凄さを顧みる事ができる。
この城址は桜の名所として有名で、花見シーズンには多くの見物客で賑わい、 また、毎年11月に「おおほりまつり」がNHK福岡放送局を会場に行われ、黒田二十五騎行列や稚児行列などの催物を行っている。


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