kyusyu.sky.net

歴史

  
  
  

崎城は文献によると、永禄十二年に大内氏家臣の内藤隆春(ないとうたかはる)が築城し勝間田盛長(かつまたもりなが)を城代として置いたと云われている。
慶長五年の「関ヶ原の戦い」で毛利氏は西軍総大将となるも、東軍の勝利に終わり防長二州に減封されると、本拠地である広島城 を出て萩城を築城し本拠とすると、毛利秀元(もうりひでもと)が長府に入り櫛崎城を改修、 長府藩の本拠となり雄山城(かつやまじょう)や長府城とも呼ばれるようになる。
だが、元和元年の一国一城令により櫛崎城は、改修後僅か十三年で廃城となり、城の一部を陣屋として使用した。
その後も長府は秀元の子孫である長府毛利氏(ちょうふもうりし)として、明治時代を迎えた。
江戸末期には攘夷(じょうい)により長府藩は外国船砲撃の為、櫛崎城址に砲台を用意し関門海峡の防衛に辺り新時代の幕を開ける事となる。


現在

  
  
  

現在、櫛崎城址は関見台公園(せきみだいこうえん)として再備され、復元天守台や石垣、曲輪などが残されている。
復元天守は公園の最高部に造られ、そこからは関門海峡を一望出来る絶景の場所となっている。
また、公園周辺の住宅地には本物の石垣も残されており、是非こちらの石垣も立ち寄って欲しい場所になっている。
更に本丸地にあるクジラの模型をしたモニュメントが印象に残っている。


Copyright(C) 2020,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。