kyusyu.sky.net

歴史

  
  
  
  

米子城は、文明二年に山名氏が築城したと云われている。
「出雲私伝」によると、応仁の乱時の文明二年、伯耆:山名氏と出雲:京極氏の間に争いが勃発し山名氏が敗走すると米子城に逃げ込んだとあり、その頃の築城が始まりと云われている。
その後、尼子氏(あまごし)の所領となるが毛利氏が勢力を延ばすとその力に屈し、米子城は毛利氏の勢力となり山名氏が城主に返り咲くが、 永禄十二年、山名氏は尼子氏と結び毛利氏に反旗を翻すも毛利氏家臣:吉川元春により米子城は落城する。
米子城は吉川元春(きっかわもとはる)の管轄となり天正十九年に元春の子:広家は湊山、丸山に飯山の地形を利用し新城を築城、これが現在の米子城となる。
だが、広家は築城の途中で転封となると中村一忠(なかむらかずただ)が伯耆に移ると米子城を完成させ、初代米子藩主となる。
完成した米子城は四層の天守を持つ近大城郭であった。
しかし、慶長十四年に一忠は嫡子を残す事無く二十歳の若さで死去する。
その後、米子城は加藤氏、池田氏と城主を替え寛永九年に池田光仲(いけだみつなか)が入邦すると、 米子城は家臣:荒尾成利(あらおなりとし)が城主となると以後、荒尾氏の居城として明治時代を迎えた。


現在

  
  
  

現在、米子城址は湊山公園として整備されている。
城跡は公園入口から見事な石垣があり、山頂には天守台や副天守台といった遺構が残されている。
この場所はハイキングコースになっておりお城見学者以外にも多くの方が来ている。
また、隣接している丸山には内善丸と呼ばれる倉庫跡も残されていて、此方も見応えがある。
散策日は残念ながら雨模様だった為、山頂から観る米子市内は曇っていたが、晴天時は絶景なのだろう。


Copyright(C) 2019,All rights are reserved by Yuichi Ishii
当サイトページを無断で転載、複製、改変等の行為は禁じます。