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歴史

  
  
  

長浜城は天正元年に後の天下人:羽柴秀吉が築城した。
同年、織田信長は近江の浅井長政を滅ぼすと、戦功を挙げた秀吉は浅井氏の旧領湖北を拝領した。
秀吉は小谷城を廃城とすると、当時今浜と呼ばれていた地に、信長の長を拝領し長浜と名を改め、新城を築城した。
築城の際に小谷城の資材を使用した他、城下町も小谷城下から移したと云われている。
だが、天正十年に起きた「本能寺の変」後、清州会議にて長浜は羽柴勝家(はしばかついえ)の所領となるも、 勝家と秀吉は信長の後継者問題で対立すると、皮肉にも秀吉は長浜城を攻城し、勝家の甥であり長浜城城主:柴田勝豊(しばたかつとよ)を降伏に追い込んだ。
翌年、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いにて勝家が自害すると長浜城は山内一豊が入城した。
その後、慶長十一年に内藤氏が入城するも、元和元年の一国一城令により長浜城は廃城となった。


現在

  
  

現在、長浜城は豊公園内に模擬天守が建てられている。
豊公園内には天守以外にも石垣や堀、太閤井戸と呼ばれる井戸跡などが残っている。
また、天守閣跡には豊臣秀吉の銅像も建てられていた。
琵琶湖を真横に観る事が出来るこの城には秀吉の想いが込められた名城として有名だ。


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