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歴史

  
  
  
  

鎌刃城は、築城年代は不明だが応仁の乱以前に土肥氏が築城したと推測されている。
その後、堀氏の居城となるも文明四年に京極氏家臣:今井秀遠に攻められると城主:堀左衛門が討ち取られている。
更に天文七年には、近江守護:六角定頼(ろっかくさだより)が湖北に侵攻すると家臣:今井定清により鎌刃城は落城し勢いに乗った六角氏は 佐和山城なども落城させ勢力を拡大させた。
だが、堀氏は六角氏に降りか鎌刃城主に返り咲くが永禄二年に浅井氏に臣従した。
しかし、元亀元年に浅井長政が急遽、同盟関係だった織田信長に反旗を翻すと鎌刃城主:堀秀村は信長に臣従するも浅井長政によって鎌刃城は落城し、秀村は落ち延びる事と成った。
姉川の戦いにて信長が勝利すると浅井氏は急激に勢力を弱めると鎌刃城は再度、秀村が城主に返り咲いた。
しかし、天正二年に秀村が突如改易されると、激戦と城として歴史に名を残した鎌刃城は廃城となった。


現在

  
  
  

現在、鎌刃城址は山頂に石垣や堀切、堅掘りが遺構として残っている。
湖北と湖南の国境沿いにあったこの名城は、麓から登山で登る事になるが山頂の遺構を見るとその疲れが吹き飛ぶほどの規模だ。
特に主郭部にある石段や、北主郭にある大石垣や大堀切から、この城の堅城さと重要性を伺う事が出来た。
また、主郭から奥に行くと、連続堅掘りや水手にあたる青龍の滝も確認出来る。
だが、麓には害獣被害対策として柵を張り廻られているので、登頂の際には充分注意して貰いたい。


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