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歴史

  
  
  

八幡山城は天正十三年、関白:豊臣秀吉の養子秀次(ひでつぐ)が築城した城だ。
秀次は天正十三の紀州攻めや、四国征伐で戦功を挙げると近江八幡20万石を拝領しこの地に入封した。
入封後、秀次は安土城に隣接する八幡山に新たな城の築城を計画する。
築城には秀吉本人が普請の指揮を執り、安土城の資材や城下町を新城に移行させた。
秀次は天正十八年までこの城を居城とし、清州城に移封となると代わって京極高次(きょうごくたかつぐ)が入城する。
だが、文禄四年に秀次は秀吉の強制的な命令によって隠居となり、後日打首となると高次は大津城に移封され、八幡山城は廃城となった。


現在

  
  
  

現在、八幡山城址は八幡山に多くの遺構を残している。
八幡山には麓からロープウェイが出ており、ロープウェイを使用すると4分程で山頂に到着する。
山頂には秀吉の姉:日秀尼(にっしゅうに)が開基した村雲門跡瑞龍寺が建っており、その瑞龍寺を囲む様に石垣が残っている。
また、北の丸、西の丸、二の丸には曲輪が残されており、西野丸から望む琵琶湖は絶景だ。
また麓には秀次の居館跡があり、城下町風情も残されている場所になっている。


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