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歴史

  
  
  
  

安土城は天正四年、織田信長が築城した豪華爛漫な城だ。
尾張の小大名だった信長は、天下布武を掲げ今川氏、斉藤氏、浅井氏、武田氏を降し天下を略掌握していた。
その為、拠点だった岐阜城より京に近く、琵琶湖の利便性等を考慮し、この地に巨大な新城を築城した。
当時、安土城築城の地、安土山の横にまで琵琶湖が有り、南方のみが開かれている地形であった。
信長は築城の総奉行に家臣:丹羽長秀(にわながひで)を指名、城は築城開始から三年後の天正七年に五層七階の天主閣や本丸などが完成した。
特に天主閣は地下一階から地上六階あり、その高さ約32mと膨大な高さを誇っていた。
後に、この安土城の築城が近大城郭の礎となる。
だが天正十年、西国:毛利氏討伐の為、信長は本能寺に在中していたが、急遽家臣:明智光秀が襲来し信長は自刃する事となる、これが有名な「本能寺の変」である。
その後、安土城は明智氏の残党によって焼失してしまうも、信長の嫡孫秀信(ひでのぶ)が二の丸を中心に機能していたが、 天正十三年、豊臣秀吉の養子:秀次が八幡山城を築城すると、その役目を終え廃城になったと伝わっている。
安土城の資材は慶長七年、井伊直継が彦根城を築城の際に使用された。


現在

  
  
  
  

現在、安土城址は安土山に石垣等の遺構が残されている。
信長が築城しただけはあり、その石垣は膨大な数を誇り、その殆どが現存されているものだ。
入口を通過すると、大手道と呼ばれる石段を目の当たりにするが、その距離に圧倒される。大手道を登りきると、天主跡地に着くのだがその石垣や縄張りの量に驚愕する事だろう。
二の丸には信長の本廟があり、本丸跡地には天主台跡が残されている。
そして、帰路ルートにはハ見寺仁王門や、ハ見寺三重塔 が残されており、この2つの建造物が安土城の唯一の遺構として残されている。
Kyusyu.sky.netで多くの城を訪問したが、これ程多くの石垣は中々お目にかかれない城跡だ。


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