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歴史

  
  
  
  
  

彦根城は慶長八年、井伊直継(いいなおつぐ)が築城した城だ。
直継の父:井伊直政は慶長五年に起きた「関ヶ原の戦い」で戦功を挙げると、西軍総大将:石田光成の居城である佐和山城に入城した。
だが、佐和山城(さわやまじょう)の縄張りや光成の居城などの理由で彦根山(別名:磯山)に新城築城を決意するが、直政は関ヶ原の戦いで負った傷が癒えず慶長七年に死去してしまう。
直政の跡を継いだ直継は翌八年に築城を開始、築城に関しては彦根城近郊にある安土城、 小谷城、佐和山城、大津城の資材を使用している。
また、12にも及ぶ大名の手助けを受けたと言われ天下普請の規模で築城している。
城は元和八年に完成するも、直継は天守が完成した慶長十一年に入城している。
その後も井伊氏の居城として栄え、徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るまでに至った。
だが、築城当初は西国への備えとして重要な拠点であった彦根城だが、江戸時代中期から末期にかけてはその役目は不要となっており、天守以外の建物は倉庫等に利用されたと伝わっている。
幕末に起きた「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)は第十五代の藩主であった。
明治時代に入ると、廃藩置県によって彦根城も廃城と化し解体が行われる予定だったが、明治天皇が彦根に立ち寄った際に彦根城の保存を命じた為、 彦根城は解体されず、現在も現存天守として残されている。


現在

  
  
  
  
  

現在、彦根城は国宝として天守閣を筆頭に、多くの遺構が現存として残されている。
見所多数あるのだが、多くの激動を乗り越えてきた現存天守は登城必須だと言えるだろう。天守内は特に展示品などは出展されてないが、 現存されている木造の造りや、他の城では鉄砲穴は開けられて要るのが定説だが、 彦根城の鉄砲穴は普段、閉じられており戦闘時にこの、閉じられた鉄砲穴を開け鉄砲を打ち込む仕組みになっている。
他にも、最上部から見渡す彦根近郊は絶景で、多くの方が来られている。
また天守同様、国宝に指定されている附櫓、多聞櫓や馬屋に石垣などその多くが、良好な形として残されている。
また、国名勝に指定されている玄宮楽々園も敷地内にあり、此方も見所の一つだ。
来城季節はどのタイミングでも良いのだが、特に桜が開花する季節は桜の名所として花見客なども含め、多くの方から愛されている場所だ。
更も、彦根城麓には城下町も整備されておりここは特に外国人の方が楽しまれていた様に感じる。
見所、迫力満点のこの国宝に、一度は訪れてみる事をお勧めする。


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