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歴史

  
  
  

千早城は、元弘二年に楠木正成(くすのきまさしげ)が築城した。
この城は、正成が鎌倉幕府討伐の為金剛山一帯に築城した詰城で、前衛に下赤坂城、本城が上赤坂城でまさに城塞郡として幕府軍を迎え撃った。
元弘三年、約20万と云われる鎌倉幕府軍がこの地に押し寄せ、下赤坂城、上赤坂城は落城し残るは千早城のみとなった。
だが、正成率いる1千の兵は千早城で奮闘し、幕府軍の油断もあり戦闘は100日にも及んだ。
幕府主力軍がこの地で釘付けとなっている隙を付いて、後醍醐天皇が全国に向け綸旨を発すると、各地で蜂起が起こると千早城を囲んでいる幕府軍は混乱を極める事となる。
更に、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を攻めると後に鎌倉幕府が滅亡する原因となった。
その後、千早城は楠木氏の居城となるも南北朝末期になると攻勢を仕掛ける北朝方に攻め滅ぼされ約六十年に及ぶこの名城も廃城となった。


現在

  
  
  

現在、千早城址は本丸跡地に千早神社が建てられている。
千早神社へは金剛山登山道から進む事が可能で、途中約500段続く石道を登る事となる。千早神社やその周辺に曲輪や空堀を確認する事が出来るが、 良好な遺構とは言えず石碑で城址と確認出来るが、特に大きな見所はその程度だった。
千早神社付近には楠木正儀の墓や、観心寺には正成公の銅像や首塚が祀られている。
大阪の名山:金剛山登山と一緒に楽しめる場所になっている。


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