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歴史

  
  
  

真田丸は、慶長十九年に真田信繁(さなだのぶしげ)が築城した出城だ。
同年に起きた「方広寺鐘銘事件」をきっかけに豊臣氏と徳川氏の決戦は不可避となり、豊臣秀頼は全国各地の大名や浪人に激を飛ばし戦闘準備に入る。
信繁は同五年に起きた「関ヶ原の戦い」の敗戦により高野山に蟄居(ちっきょ){閉門の上、自宅の一室に謹慎させるという刑罰}を命じられるが、この秀頼の激に立ち上がり、大阪城に入城した。
決戦を前に信繁は、大阪城の弱点と思われた三の丸南方方面に出城を築き、「大坂冬の陣」では真田丸に立て籠もり敵を引き寄せ見事に撃退した。
だが同二十年、冬の陣後に徳川氏と講和を結ぶ際の条件として大阪城の堀を埋め立て、この真田丸も破却された。
結果、この条件が致命傷となり同年に勃発した「大坂夏の陣」で豊臣氏は滅ぼされ戦国の世は終焉する事となる。


現在

現在、真田丸址は跡地と推測される心眼寺やその周辺に石碑や顕彰碑が建てられている。
所説が有り、実際に存在したかも不明だったが、近年の研究や発掘調査で徐々にだが詳細が明らかとなり、 旧字名「真田山」付近に存在した事が有力になっている。
付近には、抜け穴跡や真田幸村の銅像も建てられており、その人気ぶりは健在だ。
平成年に大河ドラマ「真田丸」の主題にもなっており、今後の発掘調査に期待したい。


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