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歴史

  
  
  
  
  

大阪城は、天正十一年に天下人:豊臣秀吉が築城した城だ。
城は元来、石山本願寺があったが、天正八年に天敵であった織田信長によって焼却してしまっていた。
 信長は石山本願寺の立地を高く評価しており、跡地に巨大な城を築く計画もあったが、本能寺の変でその計画は夢と化した。
天正十一年に秀吉は「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で柴田勝家(しばたかついえ)を破り、織田家の権力を手中に収めると、 権力の象徴として石山本願寺跡地に大阪城を築城し、豊臣政権の象徴となり、民からは「太閤はんのお城」と呼ばれるようになる。
だが、慶長三年に秀吉が死去し、徳川家康が台頭すると、同五年に勃発した「関ヶ原の戦い」に勝利し天下を掌握する。
秀吉の嫡子:秀頼は「関ヶ原の戦い」後の所領分配で地方大名に落とされるも、家康は実質主君となる豊臣氏を禍の種と思うようになる。
そして、慶長十九年に起きた「方広寺鐘銘事件」をきっかけに、徳川氏と豊臣氏の決別が決定的となり、秀頼は全国の大名や浪人に激を飛ばし、 兵糧の買い入れも行い、戦闘準備に入る。
戦いは、同年の「大坂冬の陣」、翌年の「大坂夏の陣」と激突を繰り返し、秀頼方の真田信繁(さなだのぶしげ)などが奮闘するも、 圧倒的有利な徳川氏を前に豊臣氏は滅び、大阪城も落城する。
その後、松平忠明が大阪城下の復興を行い、元和二十年から徳川秀忠が豊臣時代とは全く別物となる大阪城の築城を開始し、寛永六年に完成する。
これが現在存在する大阪城の礎となる。だが、火災や落雷、又は「鳥羽・伏見の戦い」や大阪大空襲などで大阪城は度々、 焼却するも大阪のシンボルとして再興され現在に至っている。


現在

  
  
  

現在、大阪城は再興され大阪城公園として整備されている。
今や大阪の象徴として多くの方に知られ、世界各地から観光客が訪れている。
復興天守以外にも多聞櫓、千貫櫓、六番櫓等の櫓や、大手門の建物遺構や、石垣も多くが現存の物だ。
天守閣内は豊臣時代から現在に至る大阪城の歴史物を展示しており、中には非常に重要な展示物も観覧されている。
また、豊臣時代の大阪城の発掘調査も行われており、その縄張りや造りが徐々にだが解明されてきている。
もはや説明不要の城で、必ず一度は訪れたい名城だ。


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