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歴史

  
  

亀山城は天文年間に中山信正(なかやまのぶまさ)が築城した。
信正は松田氏に従っていたが、天文二十年に娘を宇喜多(うきた)氏へ嫁がせると、永禄二年に血縁関係だった宇喜多直家(うきたなおいえ)は信正を誅殺し亀山城を略奪した。
直家は拠点を亀山城へ移し版図の拡大を図っていく。天正元年に直家は岡山城に拠点を移すと亀山城は家臣の浮田氏が城主となった。
「関ヶ原の戦い」後に小早川秀秋(こばやかわひであき)が岡山城へ移ると亀山城は廃城となった。


現在


現在、亀山城址は弁財天神社が奉られている場所に遺構を残しており、土塁や堀切、曲輪が確認できた。
亀山城は別名「沼城」と呼ばれており、当時この地は沼地となっており沼に浮かぶ丘に築城された為そのように呼ばれていた。
また、城の造りは亀の様な形をしていた為、亀山城とも呼ばれている。
本丸跡は浮田幼稚園の裏手に見える小高い丘の上に築かれており、山頂には亀山城址の歴史板や石碑が建てられている。
また、浮田幼稚園に隣接している浮田小学校の裏手に二の丸が築かれており、この地にも曲輪等の遺構を確認するができた。


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