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歴史

  
  
  

鬼ノ城は文献では全くその名が出ない為、築城者や築城年代は不明だ。
有力な説として、天智二年に起きた「白村江(はくそんこう)の戦い」で百済救済の為、大和朝廷は朝鮮半島に援軍を送るも、 唐・新羅連合軍を前に大敗を喫してしまう。
その為、唐・新羅連合軍の侵略に備え九州や機d内dに幾つもの朝鮮式山城を築城し防衛機能を強化した。
その城の一つが鬼ノ城だと云われている。
だが、連合軍が攻め寄せる事無く、何時しか廃城となった。


現在


現在、鬼ノ城址は吉備高原の南端に位置する鬼城山山頂に石垣などの遺構を残している。
見所は多く、復元された城門や角楼、多くの水門、城門の正反対に位置する屏風(びょうぶ)折れの石垣などが人気スポットになっている。
特に屏風折れの石垣は朝鮮式山城の石積が絶賛されており、断崖絶壁に築かれた築城技術に驚かされる事間違いないだろう。
また、鬼城山山頂からのぞむ下界は絶景で展望台も多く設置されている。


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